生き死にに関わるものをどうデザインするか

葬式に参列した。
故人との別れの儀式を少しずつ進める中で、決定的な別れは、故人を焼くときに訪れると思う。
生前の面影は、それを境に、完全に失われる。
お棺に入っている間は、まだ生前の姿をとどめているという安心感がある。そこには、「ひょっとしたら生き返るのでは」というような希望めいた感情も生まれ得る。
しかし、焼けてしまえば、それもかなわない。

その別れの瞬間は、炉の鉄扉が閉じる瞬間にあると感じた。
亡くなるのは自然に起こることであるが、故人を焼くのは、残された者の自発的な意思である。炉の鉄扉を閉めることは、自ら、故人が亡くなったことを認めることである。

この、別れの瞬間を決定付ける炉の鉄扉のデザインは、いかにあるべきなのだろうか。
ステンレスヘアラインに波のような模様を着色したシャッター扉は、あまりにドライで、拍子抜けした。

同じようなことを、別の時に、ひとからきいたことがある。
曰く、
入院棟で亡くなる人は多い。その人たちが生前最後にみる景色は、病室の天井であることも多いだろう。病室の天井のデザインとはいかにあるべきなのだろうか。

生き死にを受け止められるようなデザイン。

思い返せば、結局、最も救いになっているのは、その帰り道に見た、抜けるような青空であった。
「感情を受け止められるもの」をつくるのではなく、「我々に、青空を見るように促す何か」をつくるという考え方があり得る。

前へトップページ次へ | TT | 2008/5/31